注目を浴びている“将棋”。
あなたは“将棋”がどこで考え出され、
いつごろ日本にやってきたか
ご存じですか?
恥ずかしながら筆者は
「将棋は日本固有のゲーム」だと
思っていました…!
実は将棋の元となるゲームが
生まれたのは日本ではありません。
発祥の地については
ギリシャなど諸説ありますが、
今でも明確なことは
判明していないんです…!
最も有力な説は、
紀元前2000年ごろの『古代インド』の
“チャトランガ”というゲーム
ではないか、というものです。
それが日本に伝来し、
独自の進化を遂げたのではないか、と
考えられています。
伝来時期についても資料が乏しいため
様々な説があり、はっきりとしていません。
日本最古の将棋資料として残っているのは、
藤原明衡(ふじわらのあきひら)の著書
と言われる、
『新猿楽記(しんさるがくき)』
(1058年~1064年?)という書物です。
この中に将棋に関する記述が
発見されています。
つまり平安時代には、
人々の間に“将棋”という遊戯が
浸透していたということになります。
では将棋の歴史についてもう少し詳しく
紐解いていきましょう!
目次
遥かな歴史のロマンをたどる!将棋の発祥・伝来までのルートとは?
古代インドで誕生したチャトランガは、ヨーロッパやアジアの各地に
広がっていきました。
西洋ではチェス、
中国ではチャンキー、
朝鮮半島へはチャンギ、
タイではマークルック、
そして日本では将棋へと
独自に進化していったのです。
伝来ルートは
『インド~中国~朝鮮~日本』
もしくは『インド~東南アジア~日本』と、
考えられています。
上記でも記した通り、
明確な伝来時期は判明していませんが、
平安時代にはすでに
将棋の原型のようなものがありました。
これが平安将棋
もしくは平安大将棋と呼ばれものです。
その後、室町時代に入るころには
ルールが確立化。
江戸時代には様々な礼儀作法も考えられ
民衆に溶け込み、今日まで沢山の人に
愛されるゲームとなっていきました。
また将棋がここまで
伝統文化として残ってきたのは、
時の将軍家らの手厚い保護が
あったとされています。
ここまで長い歴史を感じる
盤上の遊戯である将棋は、
ただの遊びとは思えない存在ですよね!
独自の進化!日本における将棋の歴史とは!?
時代が進むにつれ、マス目や駒数が増えていき、
ルールも日本独自の変化が生まれ
進化していきました。
世界各地で進化した
将棋型のゲームたちですが、
日本将棋には他と比べて
明確な違いがあったのです。
それは
『自分が取った敵の駒を使えるようになる』
という点。
このルールは日本将棋だけにしか
見られないルールで、
このことから“最も複雑・高度なゲーム”と
呼ばれるようになったのです。
この日本将棋特有のルールが
備わったのは、15~16世紀と
考えられています。
さらに時代が進み江戸時代となると、
お金を貰い、将棋を指す人が
現れました。
その人たちは、将軍や大名や
仕える人たちに将棋を教えたり
指したりしていました。
この時点で将棋が
『ただのゲーム』ではないことが
伺えますよね。
さらに、将棋の発展には
大名制度の『参勤交代』が
一役買ったという説もあります。
参勤交代によって
地方の文化が江戸に集まり、
さらに江戸で学んだ将棋知識を
故郷に帰った武士たちが
町人に伝えるうちに
将棋のルールが自然と統一
されたのです。
将棋にローカルルールが
あまりない理由は参勤交代に
あったということですね!
まとめ
文頭に書いた通り、将棋は日本古来のゲームだと
思っていた筆者です。(笑)
この記事を書くにあたり、
色々と記事を読みましたが、
元となったチャトランガが
紀元前2000年に誕生し、
2020年になった今でも
将棋やチェスに形を変えて
残っていると考えると、
不思議な感覚になります。
そして日本に伝来してからも
長い時間を越えながら
人々の生活に密着していた
遊びだったことを
改めて知ることができました。
確かに将棋のローカルルールって
あまり聞きませんもんね。
将棋自身も奥が非常に深いゲームですが、
その歴史も深いものがあるのだと
感じました。
藤井聡汰さんの活躍で注目を集める将棋。
ゲームのルールも大切ですが、
歩んだ歴史を紐解くことも
違う角度から将棋を知る機会となって
面白いのではないでしょうか。