歴史的に有名な建物のため、
聞いたことがあって行ってみたいけど
どこを見たらいいのか分からない・・・。
そう思っていませんか?
北方文化博物館には、
以下の3つの見どころがあるのです!
① 最も格式の高い大広間
② 有名庭師が手掛けた庭園
③ 大量の米を収蔵するための構造で作られた米蔵
この3つです。
1つずつ詳しくご説明していきます。
① 最も格式の高い大広間
大広間は、明治時代には
大切な客人を迎えるための客間として
使用されていました。
大広間の欄間には、
中国の故事にちなんだ物語が
彫られています。
これには、家が正しく繁盛しますように
という願いが込められています。
北方文化博物館を訪れる際には
欠かすことができないスポットです。
② 有名庭師が手掛けた庭園
北方文化博物館の庭園は、
銀閣寺の出入り庭師を担当していたり、
新潟市の国指定名勝である斎藤家別邸庭園の
修復を手掛けたりしていた
田中泰阿弥によって約5年かけて
作られたものです。
この庭園からは、
四季折々の景色を楽しむことができます。
春は桜や藤、夏には古代ハス、秋には紅葉、
冬には雪景色を見ることができるので、
自然が好きな方はいつ来館しても
楽しめます。
③ 大量の米を収蔵するための構造で
作られた米蔵
集古館にある米蔵は、通気性の高い
置き屋根の構造になっています。
その理由は、
大量の米を収蔵する必要があったからです。
この米蔵は、1901年に作られ、
米3000俵を備蓄していました。
そのため、大量の米を収蔵する必要が
あるのです。
大量の米を収蔵するためには、
湿度や温度を一定にする必要があります。
置き屋根にして蔵全体を土で覆うことで
温度や湿度を一定に保ち、
米を守ることができるのです。
目次
豆知識!北方文化博物館はなぜ歴史的に有名な建造物なの?
では、北方文化博物館はどんな建物で、どんな人が利用していたのでしょうか。
このことを知るだけで、
北方文化博物館の見どころがより具体的に
分かってくると思います。
北方文化博物館は、もともとは
江戸中期に先祖代々農の道を歩み続け、
越後随一の大地主となった
伊藤家の邸宅でした。
大量の米を収蔵できる蔵があるのも、
このような背景があるからなのです。
また、庭を田中泰阿弥が作ったというのも、
歴史的建造物として評価が高い理由でも
あります。
著者は恥ずかしながら、最近まで
伊藤家のことをあまり知りませんでした。
伊藤という名字が周りにたくさんいるせいか
どの伊藤さんなのか分からなくなって
しまうんですよね(笑)
第2次世界大戦があったからこそ、
博物館として後世に残していこうという
決断があったからこそ、
今生きている人たちは北方文化博物館を見て
歴史を感じることができているのだと
思いました。
3世代で出かけたい!子連れや車椅子でも大丈夫?注意点とは?
歴史的に価値のある北方文化博物館だからこそ敷居が高く、
子供やお年寄りが訪れるのは・・・と
躊躇していませんか?
北方文化博物館では、
どの年代の方でも楽しめるようなサービスを
行っています。
例えばベビーカーや
車椅子の貸し出しはもちろんのこと、
おむつ替えシートがあったり、
シートの書かれた質問の答えを探しながら
見学するというクイズラリー形式で楽しめる
「探検シート」があったりします。
また、ロッカーか事務所で
荷物を預かってもらえるので、
必要最低限の荷物だけ持ち歩けばよいので
荷物の心配はありません。
著者は北方文化博物館には
行ったことがありませんが、著者の友人家族が
3世代で北方文化博物館を訪れたそうです。
友人は、
子供連れでも車椅子が必要な人がいても
問題なく楽しめたと言っていました。
ただ、段差や石段等は
ベビーカーや車椅子を使うのが難しいので、
注意する必要があるようです。
まとめ
北方文化博物館は、歴史を存分に楽しむことができる
だけではなく、季節に合わせて
様々な色を見せてくれます。
素敵な景色を見ながら食事をしたり
茶屋で一休みしたりするのも素敵ですよ。
著者はまだ1度も行ったことがないので、
機会があれば行ってみたいなと思っています。
あなたも、四季折々の景色を見ながら
歴史を感じてみませんか?
あなたを驚かせ、優雅なひと時へと
導いてくれるかもしれませんよ。