という天皇陛下の退位が行われ、
「令和」の時代がスタートしました。
新しい元号令和の発表の際には、
日本中が沸いたのを覚えています。
さらに、令和という言葉が万葉集からの
引用であることも話題を呼びました。
これまでの元号は、分かっているものは
すべて中国の書物から引用されており、
日本の古典からはこれが初めての
引用だったそうです。
このことで、書店には万葉集の本が
たくさん並んでいましたし、令和の
もととなったゆかりの神社では人が
ごった返している映像が繰り返し
流れていました。
まさに、一時期は万葉集ブーム到来
といった感じでしたよね。
そもそも万葉集とは
どのような書物なのでしょうか?
万葉集を知らないという人は、
まずいないでしょう。
ただ、どんな本なの?と聞かれると
答えられない人が多いのではと
思います。
万葉集とは、
ズバリ言ってしまえば和歌集です。
万葉集は奈良時代に成立したと
みられており、日本に現存している
最古の和歌集となります。
目次
教えて!万葉集とはどんな本?和歌のジャンルが3種類ってホント?
まず、万葉集という名前の意味ですが、これが実はよく分かっていません。
たくさんのことばという意味で
「万の言の葉(よろづのことのは)」、
あるいは歌のひとつひとつを木の葉に
例えて「万の葉(よろづのは)」という
意味だろう、などという推測が
されています。
万葉集は全部で20巻。
その中にはおよそ4500首の
和歌が収められています。
その中には天皇をはじめ、皇族や貴族、
役人、農民や芸人などの庶民に至るまで、
身分関係なくいろいろな人の歌が
収録されています。
天皇とそこら辺の庶民の歌が
同じ歌集に載っているというのは、
その時代のことを考えるとなんか
すごいことのように感じます。
主役は歌であって身分は関係ない、
誰が詠もうといい歌はいい、
ということなのかもしれません。
次に歌の中身ですが、大きく3つの
ジャンルがあると言われています。
- 想い人への気持ちを詠った
「相聞歌(そうもんか)」 - 酒の席や旅の心情などを詠った
「雑歌(ぞうか)」 - 人の死に対する想いを詠った
「挽歌(ばんか)」
ということですね。
そしてもうひとつ、万葉集はすべて
漢字で書かれているということです。
とは言っても、もちろん中国の
漢文のことではありません。
実はこの当時、平仮名やカタカナと
いった文字がまだありませんでした。
よって日本語の「あ」の文字を
「阿」などの漢字に当てて
表記していたのです。
そして、これらの表記方法は
万葉仮名(まんようがな)
と呼ばれます。
万葉集の歴史!約130年間の和歌を編集したのは誰?
万葉集の成立は、奈良時代の終わり頃とされていますが、これははっきりとは
していません。
原本は残っておらず、平安時代中頃の
ものとされている写本が一番古いと
されています。
そして編者についてですが、
実はこちらも分かってはいません。
おそらくは複数の人間が関わり、
最終的に歌人として有名な
大伴家持(おおとものやかもち)が
まとめたのではないかとされています。
ただ、奈良時代にまとめられたから
といって、すべてがその頃に詠まれた歌
というわけではありません。
万葉集には第34代舒明天皇
(じょめいてんのう)の即位
(629年)から、奈良時代半ばの
天平宝字3年(759年)に至る
約130年の和歌が収められています。
雄略天皇の歌で始まり、
二首目に舒明天皇、
そして最後は大伴家持の歌で
締めくくられています。
なぜ舒明天皇よりはるか100年以上も
古い雄略天皇を最初に持ってきたのかとも
思いますが、それは天皇に対して特別な
想いがあったのではないかと
言われています。
まとめ
「ヤマト」→八間跡「ココロ」→許己呂
万葉仮名で書くとこのように
なるらしいです。
しかも「あ」の表記だけでも
「阿・安・英・足」など
いろんな書き方があって、
50音すべてこんな感じで、
想像しただけでも
相当読みにくいですよね。
しかも、
「くく」→八十一
「しし」→十六
というような書き方もあって、
これは「9×9=81」、
「4×4=16」という九九の
読みからきているそうです。
これはもはやとんちですよね。
もともと読めるなどと思っているわけでは
ありませんが、まったく読める気が
しません。